「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

仮説

馬篠の六車氏の推測

2013/09/22

皆様から頂いた情報と大内町史、白鳥町史から馬篠の六車氏についてだいぶ分かってきました。生駒親正の讃岐入部の時に、塩業のプロとして連れてきた「棚次、橋本、福原、尾崎、大路、田中、六車、槙、金地、鈴木」の一族。安戸と松原で塩をつくるのに必要な燃料が松で、質の良い松がとれたことから馬篠に移ってきたようです。

元は「福原」姓で、前述の福原氏の一族が塩田の功績によって、「六車」姓を名乗ることを許されました。福原姓ということで、赤穂に多いのかと探してみると赤穂の近くに福原城(佐用城)というのがあり、赤松氏三十六家の家系。豊臣秀吉に攻められて、1577年に城主の福原則尚ともども一族の多くは自刃したとあります。

生駒氏が1586年に赤穂に入部した時に、逃げ延びた福原氏の一族か福原にゆかりの人間が塩業を行っていたのかもしれません。苗字の元になったのは「播磨国佐用郡福原(兵庫県佐用郡佐用町福原)」。

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