「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

仮説

宗湛以前の推測

2013/05/26

大川町史に経由地のことが書かれていました。1477年(文明9年)に讃岐勢も安富盛長に率いられ播磨の室津を11月に出船、帰国したそうです。


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出典:大川町史

2013/05/20 記述

六車氏は宗湛から始まっていますが、それ以前もとても気になっています。皆さんからの情報や各町誌を読んでいると筋が通りそうなんです。

六車郷から大川へ

恐らく、六車郷から赤穂を経由して引田に渡り、そこから富田中に入ったのでしょう。引田は播磨灘の風待ちの港で、畿内各地と船の行き来があったとのこと。応仁の乱の時い安富氏に率いられ、讃岐衆が帰ってきた記述がありましたので、赤穂経由だったのでしょうか。

また、以前記した「六車の先祖」の別系のように、応仁の乱後に六車氏が出てきており、その頃畿内から引き上げてきて、名前を許されたのではないかと想像してしまうのです。
安富氏からの分家であれば、先祖が関東の豪族というのも頷けます。

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