「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

見えてきた先祖

2014/03/18

祖父の戸籍謄本の住所から先祖を推測していますが、当時の住所がどの辺なのかがわかりませんでした。ただ、国会図書館で明治の古地図を見ると大内町は丹生村と誉水村に分かれています。その頃の呼び方は丹生村馬篠とか誉水村水主とはなっていなかったのではと推測していた所、六車三郎の記述を大内町史から発見。

六車 三郎 甲種 六十二

戸主 農業 六車 三郎
本籍 讃岐国 大内郡丹生村五百七十三番地
出生年月 文政十二年八月十六日生
性質 温厚柔和
伎倆 学力なきも通常事理を弁へ布告達を解得す
家族 父母妻子供八人
財産 田畑宅地共価凡六百円程
主義 無主義
挙動 常に農業を営の外異常なし
名望 村内は勿論郡内に於いて人望あり
履歴 明治十年地租改正事務に付き第一大区二小区総代兼顧問人同二年本県県会議員当選

これを見ると住所の部分がかなり近い気がするのです。こう考えると私も馬篠の六車氏の系統のような気がします。ということは福原氏につながるということで、赤穂との結びつきがきになって仕方ありません。

出典:大内町史

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