「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

仮説

「むぐるま」と「ろくしゃ」

2013/05/08

春日神社より追放された六車庄下司は、しばらくすると原田郷に舞い戻ってきたそうです。六車衆が流浪の旅に出た可能性は0になりました。ただ、三本松に行った時にレンタカーを貸してくれた方は大阪の方のようで、四国は「むぐるま」、大阪は「ろくしゃ」と言っているという話をしてくれました。四国で「むぐるま」が発生して、畿内に移住した時に「ろくしゃ」になったのでしょうかね。

2012/02/20 追記

年表を作っていて気が付きましたが、1265年以降も「六車郷」が存在したので、1265年8月はちょっと違いますね。1444年近辺に、「六車衆」が移住しなければならない何かがあったのでしょうか。その何かが謎ですね。

・「むぐるま」と「ろくしゃ」の関係は?

2012/01/25 記述

春日神社より追放された「六車衆」。その後、原田郷になったことを考えると、その近辺では「むぐるま」は名のれなくなったのはないかと思います。そのため、「むぐるま」のおもだった人々は放浪の旅に。そして、その土地にとどまる決心をした人々は苗字を「ろくしゃ」と変えて、その近辺にとどまったのではないかと推測しています。googleで検索した実感値だと、「ろくしゃ」姓は畿内に多いのではないでしょうか。

また、県別日本の姓によると香川県は京阪神との行き来があったとのことで、香川に渡ることはそれほど困難でもなさそうです。また、別のネット記事によると四国は山脈で各県が区切られているため、四国内の苗字で行き来は少ないそうな。そのため、畿内移住説・苗字分散説を思いつきました。

参考:県別日本の姓

コメント