「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

車持部

2013/01/20

車持朝臣(名欠)
太宰府政庁地区正殿後方東部出土の木簡にその名が見える。
車持君伊久沙
豊前国仲津丁里の戸主狭度勝某の戸口。寄口車持君泥麻呂の男(嫡子)。
車持朝臣氏道
太宰府政庁地区正殿後方東部出土の木簡にその名が見える。
車持祖麻呂
平城京の木簡に名が見える。
車持鷹甘
平城京の木簡に名が見える。
車持君泥麻呂
豊前国仲津丁里の戸主狭度勝某の戸口。寄口。大宝2年62。
車持君羊
豊前国仲津丁里の戸主狭度勝某の戸口。寄口車持君泥麻呂の男(嫡弟)。
車持若麻呂
平城京出土の題箋に名が見える。

出典:日本古代人名辞典

2013/01/14 追記

『倭名妙』国郡に見える「車持」関連地名を整理した情報がありました。

地方 備考
畿内 大和 右京 車持朝臣氏が居住
山城 左京 車持公・墨書土器(長岡京)
河内 車持連氏が居住
摂津 車持公
東海 伊賀 阿拝 車持首氏が居住
伊勢 奄芸 久留間神社
上総 長柄 車持
東山 近江 史何 車持公氏が居住
上野 群馬 車持大明神・車持若御子明神
勢多 銅印「車」・墨書土器
北陸 越前 足羽 野田 無姓
草原 無姓
秦人部→車持
越中 新川 車持
若狭 大飯 車持
山陽 播磨 加茂 車持連氏が居住
山陰 丹後 竹野 鳥取 無姓
南海 淡路 津野 来間
西海 筑紫 無姓
豊前 仲津 車持君

出典:東国の古代氏族

2012/08/26 記述

「姓氏家系辞書」の車持部を調べると下記のようにあります。

皇室、並びに神祇の乗輿を造り、又一切をこれを管掌する事を職とし、中古に至りては殿部の一種となす。

01.大和の車持部
02.摂津の車持部・・車持公あり。摂津皇別に「車持公、同じく豊城入彦命の後也」
03.伊賀の車持部・・車持首。
04.伊勢の車持部・・久留真神社あり。
05.上総の車持部・・和名抄、長柄郡に地名あり。
06.下総の車持部・・岡田郡に蔵持邑あり。
07.常陸の車持部・・真壁郡に倉持邑あり。「車持公は射狭君の後也」
08.近江の車持部・・神亀元年の志何郡計帳には「車持君支麻須○」。同2年に「車以君支麻須○」あり。
09.上野の車持部・・群馬郡群馬郷。
10.若狭の車持部・・大飯郡に車持邑あり。
11.越前の車持部・・
12.越中の車持部・・新川郡に車持郷あり。
13.筑紫の車持部・・履仲紀に車持君の記述あり。

車持分布

出典:姓氏家系辞書

2012/06/09 記述

尼崎市史を読んでいるとちょっと興味深い箇所がありました。車持君という方がいてその一族も畿内の豪族で特定の職掌を持っていたであろうと書いてあります。その職掌とは天皇が使用する乗物の製作を司っていたようです。実際の製作部隊が車持部と言ったところでしょうか。各地に設置され、筑紫、河内、播磨、伊賀、近江、越前、丹後などあったようです。

六車の家紋の由来も牛車から来ていたので、ひょっとすると河内から流れて六車郷に到ったのかもしれません。また、車持君は群馬県と関わりが深く、群馬県には「むくるま」があります。さらに大川町史に書いてあった関東ですから、これは何か関係があれば面白いですね。

出典:尼崎市史

コメント

  • mugurumaさん、車持部についての記述、本当によく調べているんですね、群馬県との関わり、大いに有りそうですね!益々興味が湧いてきました。

    投稿者 K、M
  • 群馬は古代にはクルマと呼んでいた。

    ム(六)は神霊。(牟礼、群れ、村、室(穴ぼこ))
    クルマは、クルの御魂=出雲大神荒魂のこと。
    クルはまた、クリ(グリ)、クレ、クロに同じで鉄に関係した
    クルマ(大国主命)持(もち、、、ムチ=大変高貴な方)、、、かみにお仕えする部民位の意味か?

    投稿者 たぬき