「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

頼政神社(古河)

2012/08/04

古河にある頼政神社へ向かいました。かつて、源頼政の郎党であった下河辺氏の本拠地があった場所です。古河公方など室町時代の影響が大きすぎて、鎌倉時代の情報はあまりないかもしれません。しかし、行ってみて判ることもあるだろうと新古河駅へ。なんと、駅の階段には、つばめが5羽今にも巣立ちをしそうな感じで親の帰りをジッと待っていました。

つばめ
新古河

北川辺不動産と下河辺氏の名前に似た不動産屋さんがあったっぽいです。この辺は川が多そうだからそういう苗字が多いのでしょうか。

渡良瀬川

デカイ水門と広い空。埼玉・群馬・茨城と水が豊富な土地なんですね。

県境
頼政神社
頼政神社

木が茂っています。

頼政神社

なかなか入るのに勇気が入りそうな佇まい。

頼政神社

結構蚊が多い。

古河城
頼政神社
頼政神社
頼政神社

ちょっと歩いたところにある出城の遺構。古河城の現存する遺構はここのみとのことです。結論としては、何もわかりませんでした。残念。

頼政神社

正一位頼政大明神といい、 源三位頼政が祭られている。いい伝えによると、治承4年(1180年)5月、源三位頼政は、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し自刃。
辞世の和歌「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」そのとき従者に遺言として「我が首を持ち諸国をまわれ我れ止まらんと思う時、必ず異変が起きよう。その時その場所へ埋めよ」といった。従者は、諸国をめぐって下総の国古河まできて、休息した。再び立ち上がろうと思ったら、その時、首が急に重くなって立ち上がれなかった。不思議に思ったが、遺言どうり、この地に、塚を築いた。これが頼政郭という。


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