「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

頼政神社(高崎)

2012/07/16

ネットで調べると頼政神社が結構あります。そこで、群馬に行ったついでに、寄ってみることにしました。場所は高崎市の中心に近い公園の横です。このあたりは水が豊富のようで、満々と水が流れています。六車に行った時の道路脇の川を見てもそうだったので、群馬県自体水が豊富なんでしょう。

頼政神社
頼政神社
頼政神社
頼政神社
頼政神社

由来

元禄8年(1695年)松平右京太夫輝貞公(大河内氏)が、高崎藩主に封ぜられるや、同年11年(1698年)其の祖先源三位頼政公を祀って城東石上寺境内に頼政神社を建てた。宝永7年(1710年)輝貞公越後村上に転封せらるるや、社も亦其の地に移され、数年して亨保2年(1717年)高崎に再転封されるや社はまた現在地に移されたのである。

頼政公は平安末期に源家の正統に生まれた、武将にして歌人である。白河法皇に擢んでられて兵庫頭となり保元、平治の乱に功をたえた。後に剃髪して世に源三位入道と称す。後年以仁王を奉じて平氏の追討を図り事破れて治承4年(1180年)宇治平等院で自刃した。

歌集「源三位政卿集」がある。亦、宮中で鵺を退治した話は有名である。当社の祭礼は、例年頼政公自刃の日、5月26日に行われた旧藩主時代は上野随一の祭りであったと云われる。


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