事実
車持神社
2012/07/15
車持氏はこの一帯の支配者で、車の里といわれていたようです。群馬もくるまから由来しているとのこと。近くには車川なんていうのもあり、また、轟という地名もあることからいかに車で賑わっているかがわかります。群馬には、「車」「轟」「六車」があるので、「2」「4」「5」「7」「8」「9」も探す価値はありそうです。
由来
創立年月日は詳らかではないが、上野国神名帳所收の従五位「車持若御子明神」は現在の車持神社である。当社は、車持公の遺徳を追慕し、縁の地に崇祀勧請したものと伝えられている。車持公は上毛野君豊城入彦命の後裔射侠君の末裔で榛名山東麓一帯を統治されていたことから、この地は車の里と呼ばれていたのである。雄略天皇の時乗輿を作り献上したことにより、車持の姓を賜り、以後子孫はこの地に居住し、善政を施したのでやがて地名にまでなったという。また、榛名神社には豊城入彦命を祀る国祖殿があり、神南備の山の榛名神社大神を合祀したものである。
祭神:火産霊命、波途夜麻混売命、車持公
mugurumaさん、このコ-ナについてはトラブルになり後回しにしていたんですが開いたら良くなつていました。車持神社があるんですね、写真入りで、良くもまあ調べたもんですね。私事ですが25日から孫(男女二人)が来ていて、昨日は孫とカラオケに息子夫婦は28日、大阪より帰省予定です。何かと気世話しく手付かずです。mugurumaさんには対応が遅れ重ね重ね失礼しています。
K,Mさん、こんな遅くまで!
お子様やお孫さんもいらっしゃるので、少しお休みになってください。
年末年始を実家で過ごしますので、このサイトの更新はしばらくできません。
ですので、K,Mさんも自分のリズムで調べものしていきましょう!
私も自分の好奇心を満たすためにやっているので、誰かに急かされると辛くなります。
皆さんとそれぞれお持ちの自分の好奇心を満たすために、情報交換できればいいなと思っています。
「群馬の謎」という本を読んで、「車持氏」で検索して、ここに来ました。
初心者なので、人名や神の名には、振り仮名が欲しいと思いました。
投稿者のmugurumaさんとは「六車」と書くと思いますが、私は「りくしゃ」と読むことだけを知っていたので、振り仮名は必要だと思いました。
アオキさん、コメントありがとうございます!
自分の記録用に載せていたので、ふりがなまで気が回っていませんでした。
確かに、自分でも読めない漢字が多いですね。。。
また、「りくしゃ」の件、村の名前でしょうか?
村の名前は「むくるま」村なんですが、
「むくるま」になる前に六炉間(むくるま?)だったと南牧村史か何かに書いてありました。
ただ、何か車持氏関係で「りくしゃ」というのも読んだ記憶があり、
それが何だったか忘れてしまいました。スイマセン。。。
クルマ、、、クルは砂鉄、製鉄に関わりのある半島由来の言葉。(マ=神霊、其所にいらっしゃる事を明らかに晒す)
要するに、鉄の神(大己貴命/大穴持命 )を祀る場所
私感では、高句麗(くら、くり、くる、くれ、くろ)の遺民が移り棲み盤踞した土地では?
また、出雲大神荒魂(大国主神/大己貴命)の事。
、、、初出は崇神天皇の御代に河内国に五彩の大蛇(オロチ)が現れ一帯を荒らし回っていて民草が困窮しているのをお聴きになった天皇が、(何故か)御自らその巣窟を親しく御覧になって(何でそんな危険な場所を知り、かつ危険を犯して迄出向くのか?)、
此れは出雲大神/大国主神の荒ぶり(荒魂)なり宜しく祀るべし。
と宣われその祭祀する祠が創建された。(皇居から天照大神と大和大国魂大神を放出したり、三輪山説話のB面(全て連動))
更に治世の晩年に丹波国の氷上の豪族の娘が何やら神懸かり託せんらしき歌をうわ言の様に唄っている。と天皇の耳に入り、それを確認させる為、皇太子(後の垂仁天皇)を派遣。内容を聞き取り持ち帰り天皇に奏上するやいなや、
天皇は先に河内国で祀った出雲大神荒魂に奉り、美具久留御魂大神と奉り丁重に鎮祭なさった。
また、出雲神族らの神宮にあった神剣を点検なさった崇神天皇が此処に移し奉祀なさった云々
(水と火、鉄、タタラ製鉄、剣)
、、、大阪府富田林市朝日ヶ丘に二上山を向いて鎮座なさる、美具久留御魂神社の由緒。
四連の本殿の裏手には四基の古墳があり神社の古い形態の一つを伝えています。
(近代以降、周辺一帯は有名な新興宗教の教団の本部が占拠)
別称があまたあり、中(下)水分神社。志貴宮ほか
このほぼ真西、淡路島には久留麻/来馬の地名と伊勢久留麻神社(元社は鈴鹿市白子(伊勢国奄芸郡栗真庄)の久留真神社(大己貴命)から6世紀末585年頃に天皇が天然痘に罹患、疫病対策で国(物部守屋大連の麾下)が奉迎鎮座させる)、
また栗村山(常隆寺山)常隆寺(桓武天皇勅願所/早良親王霊安心所。更に古くは藤原京(宮)の西結界。東は伊勢二見浦(興玉神社/太江寺。(いわゆる太陽の道を構築)←は行基上人が勅を承っての御業))の西側中腹には一世紀~三世紀にかけて稼働していた国内最大級の規模の鉄器製造コンビナートの遺跡、五斗長(ゴッサ)・垣内(カイト)遺跡が有ります
その傍らを流れる川は「黒川」
戯言ですが、
クルマは、天津宜辞(要するに日本語ではない遥か昔、祖先の言語)の空耳でクルムに聞こえ、その意味は復活や再度やって来る。等
伊勢はイーサ、シーシェ(キリストに同じ)で民草を癒し救う救世主位の意味。
伊勢久留麻神社などは空耳では、「復活した救世主」の意味になり、創建された本義とも合致
↑で、テニスの伊達クルム公子さん。
神様には空耳で、
、、、大倭国の創建者、建位起命(本当の神武天皇/天村雲命)の末裔、復活した。君子(帝王)
なるほど、あの方、一度お辞めになって見事に復活、神ががって強い訳です。
名は体を表すって言いますが、正にその通り?
たぬきさん、コメントありがとうございます!
とてもお詳しくて、驚きました!
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