事実
六車の先祖
2012/03/24
大川町史にちゃんと書いてありました。
やはり郷土史は見るべきですね。以下抜粋です。
六車宗旦
安富氏の長臣で左衛門太夫朝満といい、宗旦(宗丹・惣丹・宗湛・宗探)と号した。先祖は関東の豪族である。
関東なんだという意外な結末でした。
ただ、関東のどこかわからないんですよね。
もう一つ興味深い記述も。
別系六車氏
「阿波古文書 曽江山村六車家系 藤原氏安富姓」によると、上の六車氏とは別の六車氏がいたようです。藤原姓の安富氏から出ているとのこと。讃岐の安富氏は本姓紀氏で東国の出。大和の安富氏、摂津の安富氏、大和の安富氏、清和源氏の安富氏、石見の安富氏、大内氏系の安富氏がいるので、藤原系の安富氏もあってもおかしくないそうです。
系図
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- 安富宮内大輔
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- 安富太郎兵衛有時元弘3年鎌倉攻後尊氏に従う
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- 安富兵衛進有武讃州寒川郡住 守護職
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- 安富彦九郎豊後守有義
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- 安富豊後守光則
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- 安富又三郎豊後守武則
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- 安富隼人量則
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- 讃州守護職安富和泉守
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- 安富三郎
- 六車左衛門尉後改宗丹信勝四国管領細川家に属し京都合戦戦功長亨元年(1487年)5月4日卒
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- 女 寒川丹後守室
- 六車源左衛門景明
- 六車右近景久
- 六車長左衛門尉景●大永元年(1521年)8月9日卒
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- 六車長左衛門尉後豊後守信景天文10年(1541年)諸処戦功11年卒
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- 六車太郎豊後守景成諸処戦功弘治3年(1557年)卒
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- 六車左衛門肥後守時氏天正元年(1573年?)秀吉公に供し備中高松城攻、太刀一腰賜
- 六車又三郎時茂富田中村城主
- 六車宇左衛門時定大内郡虎丸城主安富又三郎城代
郷土史書と照らしわせると富田中村城には六車時茂がいることになり、時茂は宗旦と同一人物なのか客将なのか傍証がないのでわからないとのことでした。
しかし、ただただ驚きました。
出典:大川町史
mugurumaさん、大川町史は富田中の町役場に有るうんですか、南国市に行つた(アンパンマンを観に)帰り、町役場を尋ね(実は私・方向音痴で家内からしばしば指摘される)富田神社を知った次第です。此の時は移設した後の墓地跡がどうなつて居るか確認、最中だつたんです、息子夫婦・孫も-緒だつたんですが。横道にそれてすみません。別系六車氏の系図・安富(富・富)の富違いもありますし興味、益々増幅です。
K,Mさん、実は大川町史ですが、国会図書館で閲覧しました。
六車宗湛のページに鉛筆で個人の方の記述が追記されていたので、
六車について調べている方も案外いるんだなと思った次第です。
恐らく、香川県の県立・市立の図書館に行けば、地域史コーナーにあるかもしれません。
そして、安富氏の富の字ですが、ひょっとしたら私の方で間違えているかもしれません。
スイマセン。。。
ただ、安富氏について調べた時に、富の字も「冨」もあるそうで、安の字も「保」もあるようです。
藤原氏のように一族が発展しすぎて、差別化のために用いたのかなと推測しています。