事実
六車奈々さんのルーツ
2013/05/09
「六車」「ルーツ」で検索していると、六車(ろくしゃ)奈々さんが自分のルーツを探ったという記事を発見。なんと!香川県大川と書いてあったので、恐らく富田中のことではないでしょうか。しかも、元は「むぐるま」だったとのこと。やはり、香川では「むぐるま」で、畿内では「ろくしゃ」と変遷したという裏付けが出て来ました。いつ頃、畿内に進出したのかと家紋も気になるところです。私の勝手な解釈によると宗湛の本家筋なんでしょう。
事実
2013/05/09
「六車」「ルーツ」で検索していると、六車(ろくしゃ)奈々さんが自分のルーツを探ったという記事を発見。なんと!香川県大川と書いてあったので、恐らく富田中のことではないでしょうか。しかも、元は「むぐるま」だったとのこと。やはり、香川では「むぐるま」で、畿内では「ろくしゃ」と変遷したという裏付けが出て来ました。いつ頃、畿内に進出したのかと家紋も気になるところです。私の勝手な解釈によると宗湛の本家筋なんでしょう。
「香川県大川」と表記した場合の「大川」は、富田がある大川町ではなく、東かがわ市の丹生~三本松(旧大内町)を指す事が一般的です。
平成の大合併で「大川郡大内町」の地名は消えてしまいましたが、中学校は今も「大川中学」と、その呼称が残っています。
ちなみに、富田の方にある中学校は「大川第一中学」で、地元では大川町のことを「大川」とはあまり言いません。
馬篠の六車さん、ご連絡頂きありがとうございます!
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地元に住んでいないとわからない情報に感謝いたします。
ということは、奈々さんの先祖も大川郡大内町の出ということでしょうか?
私の先祖も丹生らしいと聞いているので、案外先祖が近いのかもしれません。
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ちなみに、差し障りがなければ、馬篠の六車さんの家紋を教えて頂けないでしょうか?
以前、馬篠に実家がある方からご連絡頂いた時は、本家筋が「丸に剣片喰」で、
自分の家は「丸に四方剣花菱」と教えて頂きました。
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ハマの六車と呼ばれていると書いてありましたので、
馬篠地区の六車家の方々は「丸に剣片喰」なのかなと想像してしいます。
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ハマの六車に対して、オカの六車が水主の六車なのかも気になるところです。
その「香川県大川」と書かれた時期により、指す場所も変わってくるかもしれませんね。
あくまでも表記について、「大川村であれば大川町、大川であれば大内町を指す可能性が高い」事を書いただけなので、六車奈々さんのご先祖様については全く存じ上げてないため、コメントは控えさせて頂きます(^^;
うちの家紋は「丸に剣片喰」です。
親戚筋では「本家」と呼ばれてますが、馬篠の六車の本家はご近所の別の六車さんだと言われています。
(うちとは親戚ではありません)
馬篠の六車さん、ご連絡ありがとうございます!
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大川の件、了解しました。
でも、もし遠い親戚だったら、なんとなく嬉しいですね。
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また、家紋の件もありがとうございます。
馬篠の六車さんは丸に剣片喰の方が多いので、
同族なのかもと想像しています。
お話をお聞きして、秀春家がなぜ総本家と呼ばれるのかも、
各六車家が分家して本家になり代を重ねてきたのでしょう。
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情報をくれた福山の六車さんや水主楠谷の六車さんも代々の歴史があるので、
今でも四国に地縁のある方がうらやましいなと思います。
六車奈々の又従兄弟の六車と申します。
曾祖父はもともと四国香川県出身の医者の家系で曾祖父は医者にはならず京都に来たそうです。
そして、曾祖父はもともと六車と書いてむぐるまと言う呼び方だったそうですが、曾祖父がろくしゃと読み方を変えたそうです。
家紋は三割源氏車です
六車さん、情報ありがとうございます!
高松市史に六車杏隠という藩医の名前があるので、その家系と関係があるかもしれませんね。
羽床復讐という本を書いたそうです。
殿様の医者勤めた家系と聞いてるのでとても関係深いと思います。
色々詳しいですね。
おー、やはりそうなんですね!
素晴らしい家系じゃないですか!
昔、香川東部の六車に関係がありそうな市町村史を調べて
たまたま見つけた記載だったので、運が良かったです。