事実
富田神社
2013/05/01
久しぶりに富田八幡宮へ向かいました。心なしか新しくなったような気がしました。
2012/04/21 追記
富田神社の歴代祠官。5代六車丹後以後は吉田家認可とのことです。
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- 初代六車左衛門太夫1606年(慶長11年)~1628年(寛永5年)
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- 2代六車彦太夫1628年(寛永5年)~1648年(慶安元年)
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- 3代六車彦助1648年(慶安元年)~1664年(寛文4年)
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- 4代六車又左衛門1664年(寛文4年)~1692年(元禄5年)
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- 5代六車丹後良久1692年(元禄5年)~1704年(宝永元年)
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- 6代六車信濃真恒1704年(宝永元年)~1730年(享保15年)
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- 7代六車出雲久栄1732年(享保17年)~1761年(宝暦11年)
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- 8代六車上総末久1761年(宝暦11年)~1784年(天明4年)
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- 9代六車牧太由宣1784年(天明4年)~1815年(文化12年)
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- 10代六車丹後由群1815年(文化12年)~1862年(文久2年)
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- 11代六車七郎和群1862年(文久2年)~1888年(明治21年)
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- 12代六車五郎勝群1888年(明治21年)~1921年(大正10年)
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- 13代六車豊秋1921年(大正10年)~1965年(昭和40年)
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- 14代六車千秋1965年(昭和40年)~
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- 15代六車博~
出典:大川町史
2012/03/20 追記
富田神社
雨滝山南麓、字宮内に鎮座。祭神は品陀和気命・帯仲彦命・息長足日売命。旧郷社。近世富田郷の産土神。社伝によると相模国高座郡寒川神社(現神奈川県高座郡寒川町)の分霊を勧請して寒川神社といい、一部の総鎮守としたという。宝蔵院古暦記(松浦文書)には富田八幡とあり、承平6年(936年)勧請、別当神霊寺とみえる。神霊寺については不明だが、「讃岐国名勝図会」には境内に薬師堂のあったことを記す。「御領分中宮由来」には、貞観年中(859~877年)富田則朝が勧請し一郷の氏宮として建立、別当本覚寺、末社145社、永禄年中(1558~1570年)雨滝城主安富又三郎が再興、社領を寄進したとある。元禄8年(1695年)安富氏の家臣六車宗湛の子孫が祠官となり現在に至る。明治5年(1872年)それまでの寒川神社を富田神社と改称。例祭は10月15日。末社は住吉神社・杉尾神社・●寅神社・兵主神社。
出典:香川県の地名
2011/12/29 記述
大川郡富田にあります。六車宗湛の直系の子孫の方が代々宮司になっているようで、現在15代目とのことです。六車のド本家だと思いました。家紋について尋ねると、詳しくはないが六つに割れたものだとのこと。分家の家紋違いについて伺うと、あると思いますよとのことでした。ここで驚いたのが、左右の石版に「六車」が多数。これほど「六車」姓がある地域があるとは思いもしませんでした。
参考になりました。
大蓑彦神社[オホミノヒコ]との関連を思考せざるをえません。
大蓑彦神社[おおものひこ]「大蓑彦命」
当社は延喜式神名帳に「讃岐二十四座の一」とす、里人蓑神明神と奉称す、神社の北方に寒川渕ありて名水なり、寒川郡名之によって起ると云う。
御祭神大蓑彦命は上古蓑を作り始め給ひし功績によりて称へし御名なるべしと云う一説には素盞嗚命、又水霊神を祀ると云へり、神名帳考証に「寒川郡大蓑神社水霊郡名寒川郡因此神歟」と云う。
特選神名牒に「水霊の説いと由ありて聞ゆ故考へるに延暦儀式帳に牟祢神社は大水上児寒川比古命寒川比女命と云う、又那自売神社は大水上御祖命なりとある。
大水上神、大水上御祖命同神にて、此大蓑彦命も大水彦神の義ならん。
郡名は寒川比古命、寒川比女命に由ありと思うべし」と記されたり。
廣瀬さん、ご連絡ありがとうございます!
私は残念ながら訪れていませんが、石田東にある神社なので、
安富元綱(同姓同名?)が城主だった石田城の勢力範囲だったかもしれません。
安富氏と神社の間柄にも色々あるようなので、
富田神社と大蓑彦神社を関連付ける出来事が何かがあったのでしょうか。
雨滝城主安富氏の命を享けて家老六車氏が代々宮司を司ってきた由です。
富田神社は寒川郡(寒川渕に地名由来)鎮守に旧寒川神社として鎮座し、後に相模の一之宮寒川神社の御分霊いただいたようです。家老六車氏は旧白鳥町より起源とし氏の代で家紋を車輪様に変えたようです。
富田神社と大蓑彦神社の関連付けについては時代の開きがありすぎますが、大蓑彦神社、石田神社(石田城)、富田神社と全てが古墳であり、寒川郡の氏神の聖地として共通しています。また、富田神社(旧寒川神社)一帯は大規模な雨滝山古墳群であり祖神を祀る位置にあります。
廣瀬さん、貴重な情報ありがとうございます!
まさか家老六車氏が旧白鳥町が起源で、家紋を車に変えたとは調べることができませんでした。
変えたということはその前の家紋があったと思うと、こちらも気になるところです。
また、車持氏関連でも祭神は過去に実在していた人のようですので、
神社と過去の歴史が明確にわかれば、色々な発見がありそうです。
それにしても、廣瀬さんは歴史に詳しいですね。