事実
教興寺の戦い
2012/08/16
獅子吼山大慈三昧院教興寺は秦河勝の創建と伝えられ俗に藪寺といわれている。真言律宗西太寺の末寺で境内南方の寺池は臨池式大伽藍の遺構といわれ鎌倉時代西太寺叡尊によって復興され文永弘安の役には蒙古降伏の大祈祷が行われた。また1562年(永禄5年)河内国守護畠山高政と三好善興松永秀久とのいわゆる教興寺合戦により全焼。江戸時代浄厳和尚によって再興されたが明治18年の台風で本堂が倒れ旧客殿を仮本堂としている。
2012/02/02 記述
wikipediaによると、教興寺の戦いに六車宗湛が讃岐国人衆として参戦しています。1562年5月19日の情勢で、昼前に讃岐衆が攻勢にでたようです。戦国時代がひしひしと伝わってきますね。
参考:教興寺の戦い
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