事実
芦北郡津奈木町
2012/05/12
六車茂一郎翁が書いた津奈木町の郷土史を読みました。それには加藤家によって津奈木に六車氏が配置されたことが分かりました。以下要約です。
加藤清正の領地になり城代を派遣して津奈木城を守らせたとのこと。これは島津氏の肥後侵入に備えたもの。城代になった人には森本義太夫、竹内吉兵衛屋次等がいるそうです。いずれも清正公の勇将。現在、津奈木に「六車」「斎藤」「徳永」等の姓があるのは、清正公の家臣の子孫になります。細川氏の時代も多くの士族を派遣して津奈木に留めたそう。
これも薩摩軍の侵入に備えたものだそうです。
また、加藤清正が初めに肥後を領国にした時、津奈木は飛び地で、島津氏と小西氏に挟まる土地だったようです。そこに配置されたとはなんとも肝の太い方々だと思いました。
参考:熊本県芦北郡津奈木町郷土史
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