「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

熊本の六車家 2

2012/02/12

熊本の六車さんより頂いた情報によると、家紋は六本骨源氏車ではなく、「伍」が入った文字紋だそうです。ネット辞典によると「伍」は仲間を現す言葉とのことで、勝手にその当時の苦難や困難を想像し、その家紋を発想した方の人柄に思いを馳せてしまいました。

また、加藤家の家臣として親族を避難させるために懸命な働きがあったとは、世の中に出ている書籍からは知ることはできない事実を発見できました。さらに、悟真寺という由緒のある寺院の加藤家の墓の一段したに埋葬されている方がいるのも、興味深い事実です。

薩摩方面に避難させるためにとのことですので、ひょっとしたら、熊本の六車家がある芦北郡津奈木町で匿おうとしたのかもしれません。加藤清正が小西行長を攻めた後に芦北郡津奈木町を領有したと思われるので、加藤忠広の代の話かなと推測しています。

この話を伺い、解きたい謎があります。

・熊本の六車氏は香川から熊本に移り住み、仕官したのか?
・六車郷から直接移り住んだか?
・全く別の由来の六車氏か?

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