事実
香川県東讃
2012/01/23
ネットが普及する前は、苗字の由来という本をよく読みました。しかし、あまり「六車」姓はでてきません。よっぽどローカルな苗字なんだろうなと思っていましたが、香川の東讃には多いというではありませんか。しかも、香川らしい苗字に挙げられています。香川に一度は行ってみたい、源流を見てみたいという思いに駆られました。マイノリティじゃない場所があるとは、思いませんから。
事実
2012/01/23
ネットが普及する前は、苗字の由来という本をよく読みました。しかし、あまり「六車」姓はでてきません。よっぽどローカルな苗字なんだろうなと思っていましたが、香川の東讃には多いというではありませんか。しかも、香川らしい苗字に挙げられています。香川に一度は行ってみたい、源流を見てみたいという思いに駆られました。マイノリティじゃない場所があるとは、思いませんから。
時間の都合上、このホームページ全体を読まずに書かせていただきますので、既にご存じのことも多いかと思いますが、ご了承ください。
私の母の父方は大川町田面・森行、母の母方は旧白鳥町入野山ですので、先祖や土地のことを調べていると、六車家に遭遇することがあります。
①戦国時代に安富筑前の家老で、雨滝城の城代だった六車宗旦(虎丸城について調べていると名前が出てきます。六車宗旦はもともと虎丸上にいて、安富筑前が虎丸城へ移ってくるのと入れ替わりに、雨滝城へ向かったと記憶しています)。香川県史の民俗学のページに松村家の人が先祖について語っていますが、分家するに当たり六車宗旦の位牌を譲り渡したという話が載っています(先祖が虎丸城に所属していました。本物ではないとは思いますが、かつて入野山辺りで、六車宗旦は有名人だったのでしょう)
②大川町に六車城跡・(株)六車建設・六車縫製工場等があります(google map でさぬき市六車で検索)。また、その辺りか別の場所か忘れましたが、六車という小字名がありましたから、六車という苗字はその地名(自分の領地)から採用したのかもしれません。
③六車奈々(タレント・女優)という方が、先祖についてブログで書いています(検索すればすぐ出てくると思います)。やはり先祖は香川らしいですが、途中で「むぐるま」から「ろくしゃ」へと読み方を変えたそうです。ちなみに私は「むぐるま」と呼んでいました。
④おまけとして、兵庫県の山陽電鉄須磨駅から須磨離宮公園へ向かう途中、六車という表札が出ている家があり、思わず足を止めてしまいました。珍しい名前ですからね。ひょっとすると一族の方かもしれません。
以上です。
追記:誤字脱字や追加しておきたい点もありましたので。
①私の家は六車家ではありません。母の父方は有馬、母の母方は松村(國信)です。
②六車宗旦の下の名前ですが、私の手元にある香川県史民俗学の個所ではこの漢字を使っています。
③前述の六車宗旦位牌ですが、前面「光寿院善山居士位」背面「俗名六車宗旦」となっているそうです。
④六車奈々さんについては、すでにご存じだったようですね。誤字も含め、失礼致しました。
以上
microdisnyさん
ご連絡頂き、ありがとうございます!
めちゃめちゃ参考になります。
六車姓の由来が地名由来だと想像していましたが、
ネットで検索すると豊中市に六車郷があったので、
関西由来なのかと思っていましたが、
大川町に六車という小字名があるとは知りませんでした。
六車氏の本拠が大川だったことから考えると
ほぼその地名由来で間違えないですね。
長年追い続けてきた疑問が解消されました。
また、かつてこのサイトで
虎丸城周辺に住んでいた六車の子孫の方がおっしゃっていましたが、
すごいデカイ墓を持つ六車の家系があるそうです。
財力も豊かで、その方の祖母が嫁入した時は、
地上を船を挽いて進んでいったとか。
ひょっとしたら、宗旦の位牌を持つ家系なのかもしれません。
勝手に六車の総本家は大川の富田神社だと考えていたので、
六車家の総本家はどこになるのかも謎が増えました。
しかし、ありがたい謎です。
色々教えて頂き、ありがとうございました!
少しでもお役に立てたようで、嬉しく思っています。
ただ、先にお伝えしておいた方が良いと思い、再度メールを送信させて頂きます。
①六車という小字名(通常小字と呼ぶよりも小さいかもしれません)に関してですが、グーグルマップを見ていた時たまたま、灰色で小さく表示されているのを見つけました。先ほど再チェックしましたが特定できませんでした、ネットで検索しても簡単には見つからないと思います。大内町内かどうかも不明です(ただ、少なくともその周辺であることは確かです。ご存じのように、その近辺は「とらまる」「むぐるま」「やすとみ」等の会社名・店名・公園名などが多数存在しますし。もしこの先、見かけすることができたらご報告します。
②これは私からのお願いですが、もし仮に私が先に送信したメールの内容をホームページで使用する際、苗字等の個人情報は伏せて頂けませんか(microdisnyというニックネームは問題ありません)。香川県に親類
が多数し、先祖について調べている人もいますので。
よろしくお願いいたします。
また、文章ミスをしていました。
上記の文章
誤:『その近辺は「とらまる」「むぐるま」「やすとみ」等の会社名・店名・公園名などが多数存在しますし』
正:『その近辺は「とらまる」「むぐるま」「やすとみ」等の会社名・店名・公園名などが多数存在するので、間違ってそちらの方がヒットしてしまいますから、調べにくい面もあります』
です。
再度の追記:おそらくご存じのことでしょうが、念のためお伝えします
①前述の「六車縫製工場」の南東数百メートル(さぬき市大川町富田中)に、六車城跡があります(http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/muguruma.htm)。前期のホームページには、「六車宗旦が居城したと云われてている」と記されています。
②グーグルマップでは六車縫製工場の「六車」(さぬき市住宅となっている)がありますが、拡大したり縮小したりしていると、文字が黒字になったり灰色になったりします。私が小字名だと思ったのは、おそらく
ここでしょう。すぐ近くに六車城跡もありますし。
③ご存じだと思いますが、「白鳥町史」はネットで読むことができます(PDFをダウンロードできます)。
例えば、P173に寒川郡牢人の一人として「長尾東村牢人 六車豊蔵」の名が見られます。探せば他にも六車の名を見つけることができるかもしれません。一方の大川町史は売り切れ状態らしいですが。
※地方自治体によって、郷土資料の取り扱い(ホームページ等)に大きく差が出てきますね。
私の父方は佐賀ですが、佐賀県立図書館の充実ぶりを見ると、香川県立図書館は何もしておらず残念に思われます。
④虎丸城近くにも六車さんがいらしゃると聞き驚きました。もちろん城跡近辺にが本拠地かもと思っていましたが、近辺に残っている古い家は長町家や大庄屋の家くらいだと思っていましたので。虎丸城跡の南にある入野山に親戚が多数いまして、体調が良ければ近々訪れる予定です。
microdisnyさん
記事化の件、承知しました!
小字名の件、私もGoogle Mapで見てみましたが、
残念ながら発見できませんでした。
六車城ですが、訪問したことがあります。
地元の人の話ですが、神社の横に竹やぶがあり、
そこには7人くらいが入れる剣道場のようなものが建っていたそうです。
それはひょっとしたら天守なのかもしれません。
それほど大きい建物ではなさそうです。
そして、六車豊蔵。
丹念に白鳥町史を見たつもりでしたが、
見逃していました。
後で、PDFを見に行きたいと思います。
今は北海道に住んでいますが、
少し前まで関東に住んでいたので、
東京都立図書館には全国の市町村史が揃っています。
もし、いろいろな場所の郷土史が知りたい場合はおすすめですよ。
虎丸城近くの六車氏は水主楠谷でした。
入野山とはちょっと離れていますね。
もし、四国を訪れた際は参考になれば幸いです。
いろいろ教えて頂き、ありがとうございました!
①小字名? に関して参考のため、私の場合グーグルクロームを使用しグーグルマップで「香川県(スペース)さぬき市(スペース)六車」で検索すると左端にいくつか表示されている項目の内、「六車」が出てきます(郊外の住宅 〒761-0902 香川県さぬき市大川町富田中792−1)。ここがある拡大率になると、灰色で「六車」となるので、小字名だと思っていました(ただし、実際のところは不明です)。
②六車城にはやはり訪問されていたのですね。私は兵庫県明石市出身・在住していますが、近くにある戦国時代の古城2つは、天守部分だといわれている箇所が樹齢百年以上と思われる木々に囲まれ江戸時代と思われる石碑が残っているので、六車城もそういう感じだと思います。
③私の場合、明石城の三の丸跡に兵庫県立図書館があり、全国の県史が置いてあるので、中学二年生の時からそれで調べていました。香川県史はなかなか分量が多いいですね(白鳥町史も分厚いですが)。讃岐訪問前に多少チェックするつもりです。
④あまりお手を煩わせたくありませんので、この投稿への返事はなくても問題ありません。最初は投稿するかどうか迷いましたが、今では投稿してよかったと思っていますよ。それでは、お互い歴史好き・先祖について興味を持っているものとして、今後も楽しみながら調べていきましょう。
microdisnyさん
諸々ご配慮頂き、ありがとうございます!
小字名の件、Chromeで再現できませんでした。
コツがいるのかもしれません。
念の為、国土地理院のサイトでも見てみましたが、
谷町までしか表示されなかったので、
時間があれば、ゼンリンの地図かさぬき市に古地図の確認をしてみたいです。
結構、現在の地名に当てはまらない地図が使われていたそうなんです。
そして、明石出身なのですね!
一回だけ、姫路の友人を訪ねて、明石焼きを食べました。
あれはかなり美味しいです。ホクホクアツアツを思い出します。
私の家系は推定ですが、六車宗旦とは別家系だと考えています。
生駒親正が赤穂から讃岐に転封された際に、赤穂の塩職人が移ってきて、
功績により、六車の名前を授かったそうです。
恐らく、赤穂にルーツがありそうなので、
姫路近辺は心踊らせる地域です。
こちらこそ、楽しみながら、
調べていければ、嬉しい限りです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
①小字名?に関して:私の親戚のケースですが、苗字の由来として隣村の小字が上がっているのですが、現在その地名は地図上ではどこにも残っていないようです。地域の小領主の場合、苗字の由来が地名の場合でも、現在では使われていないケースもあると思われます。
私が指摘させて頂いた六車城近くの「六車」ですが、普通に考えて、1件の民家がグーグルマップでマーキングされているのは変ですので、元々地名の可能性が高いと思っています。私の場合、グーグルクロームで上記の住所で直接検索しても「六車」としてマーク付きで出てきますが、歴史のある地名かどうかを調べるのはなかなか困難かもしれません。
②明石に関して:私は明石出身で、東京の大学に通っていましたが、現在は明石に戻っています。関東の人は明石を子午線の町として認識しているようでしたね。漁港があり「魚の棚」と呼ばれる商店街があるのですが、最近土日には県外からの観光客を見かけることが増えてきました。目的の一つがおっしゃるところの明石焼き(地元では玉子焼きと呼んでいます)を食べることのようです。気に入っていただけたようで、地元民として嬉しく思っています。
ちなみに明石城は三層の櫓が2つ並んで残っており貴重なのですが、近くに姫路城があるためか、地元の人は「小さく大したことのない城」程度の認識で、城・城下町・旧街道などが好きな私からするとかなり残念です。
③赤穂について:生駒家が、赤穂から転付になっていたことは知りませんでした。なにしろ赤穂とえば浅野家のイメージが強いもので。当然、赤穂も行ったことがありますよ。ご存じかもしれませんが、赤穂には塩見饅頭という名物があり、これは食べ始めると癖になる味で昔から結構好きです。
私の父方は佐賀藩で藩士名簿(惣着到と呼びます)がデータベース化されていますが、高松藩士の名簿は残っているのでしょうか。ひょっとすると六車姓の方や長町姓(讃岐の有名氏族)の方がいらしゃるのかもしれませんね。
④姫路近辺について:姫路近辺では龍野は外せないでしょう。それ以外にも、柳田國男の生家がある地域・陣屋町の林田・三日月、かつて播磨の中心地であった御着(ここは行ったことがなく、城跡の碑がたっているくらいと聞いています)、古い港町の網干・高砂(かつての雰囲気が多少残っています)等も個人的には好きです。確かに歴史マニアにとっては魅力的な場所が多いでね。
⑤地方特有の苗字について:歴史に興味があったためか、以前から珍しい苗字に興味がありました。
明石だと神足(こうたり)・五百蔵(いおろい)などが地元の苗字で、数件まとまっています。他にも佐賀に多い、百武(ひゃくたけ)・副島(そえじま)。会社の同僚だった八津(やつ)・馬谷原(うまやはら)。それに六車(むぐるま)等です。
⑦讃岐への旅行について:体調が整って讃岐に行くことができれば、時間をとって親戚の家・先祖の墓・虎丸城・地元の図書館・引田や白鳥の古い町並み等を回ろうと考えています。
東讃岐近辺を調べていて、また何かしら六車家関連の記述に偶然出くわすことがあれば、ご報告したいと考えています。もっとも、かなり調べておられるようなので、私が新たに提供できる情報はさほどないと思いますが。
⑧一族について、こうしたサイトを作るのは興味深いですね。こうしてコメント欄を設ければ他の六車姓の方から、情報を収集することもできますし。
私自身に関して言えば、父方の先祖について調べたことを、今のうちに一冊にまとめて親戚に配ることも考えています(まだぼんやりとした考えで、実行するにしても再調査の上で数年かける必要がありますが)。理由は、自分が死んだ後に、自分と同じように一族の歴史に興味を持つ人が出てくるかもしれないからです。そういう人が現れた場合に備えて、何らかの手がかりを残しておけば、きっと調査の手がかりになるでしょう。自分が中学二年生の頃は、情報があまりに少なくて困りましたから(まだインターネットという言葉すらない時代です)。
⑨最後に:病院に行くまでの時間つぶしを兼ねて書き始めましたが、気が付くと随分と長文になってしまいました。申し訳ありません。そして、こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。
microdisnyさん
お返事ありがとうございます!
小字名の件、承知しました。
明石城については、不勉強だったため、参考になります。
赤穂の件は、塩味饅頭を知りませんでした。いつか食べてみたいです。
実は高松藩に仕官した六車氏の情報を発見した記憶が薄いのですが、
六車杏隠が藩医を勤めたそうです。
一方で、熊本の津奈木町にも六車氏が存在し、四国の六車氏の分かれの模様。
細川時代の熊本藩士として活躍していますが、
加藤清正時代の藩士としても菩提寺にお墓があるそうです。
microdisnyさんも計画している
名字についての本の出版を行った六車さんはここの出身だとか。
姫路近辺については興味深く、
六車氏が仕えた安富氏は千葉で活躍した後、
三日月に赴任し、細川氏に従って四国に渡ってきたようです。
六車氏も安富氏から出たという噂もあり、興味があります。
地方特有の名前については、知らない名字が多いですね。
友達に佐賀の成松さんがいますが、龍造寺系の家臣のようです。
讃岐への旅行については、ご体調に配慮して、お楽しみくださいね。
旅はいつも楽しいですからね。気が急くと、いつの間にか疲れているので。
一族について、ホントおっしゃるとおりです。
名字の歴史について、知りたくても、生活に流され、
殆どの人はわからないままで過ごすことが多いと思います。
私はたまたま珍しい名字だったので、検索しやすく、それをアウトプットし、
新たな情報を寄せてもらって、発見することが多かったです。
良い情報、悪い情報も受け入れなきゃなりませんが、
知る喜びにまさると思います。
こちらこそ、ありがとうございます!
①すでにご存じかもしれませんし、参考になるか解りませんが、追加情報として投稿します。
香川県立図書館のホームページで「トップページ>香川を知る>地域の本棚>讃岐人物風景 人名索引」(https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/know/local/local_sanukijinbutu)と進むと、「讃岐人物風景(全13巻)」の人名索引を見ることができます。六車姓は以下の3名を見つけました。
ⅰ)2巻 六車宗旦[湛] P189
ⅱ)11巻 六車与平 P148
ⅲ)12巻 六車ルイ P24
②「安富家」についてまとめられているようで、参考になります。長町家とは婚姻関係もあり、多少調べようとしていましたが、肝心の虎丸城主のことはまったく手をつけていませんでしたから。時間の余裕がある時に、サイト全体を含めて詳しく拝見させて頂きたいと思っています。
③私の親戚の家紋は「丸に八つ槌車」です。車紋だと思っていましたが、槌紋の系列のようですね。とはいえ、「車」が牛車に由来するものだとすると、車紋との共通性もありそうです(家紋について、まだあまり調べておらず詳しくありません)。
以上です。
microdisnyさん
ありがとうございます!
もろもろ参考になります!
申し訳ありませんが、少々訂正を。
讃岐人物風景についてですが、地域の本棚>2.歴史・伝記・地理>讃岐人物風景 人名索引 です。
私は検索中に上記のアドレスに直接行き当たりましたが、この2.歴史・伝記・地理には、目次や項目だけですが、かなりの冊数がありますね。