「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

白鳥にある墓地~家紋調査~

2013/05/06

六車家の墓が大量にある一角があり、ひょっとして丹生の先祖の墓とはここかと心躍りましたが、お墓参りに来ている方に聞くとここは白鳥と言うではありませんか。大内でお墓を探しているといつの間にか、白鳥の方に来ていました。土地勘があまりないので、移動しているとわからなくりました。

六車家のお墓がある一角は川沿いの墓地に2箇所ありました。丸に梅鉢が7基、丸に違い鷹の羽が5基、上り藤が1基、上り藤に割菱が4基、六つ藤に三つ巴が1基。以前の白鳥墓地での調査を加味すると以下になります。

丸に梅鉢が7基、丸に違い鷹の羽が5基、上り藤が1基、上り藤に割菱が5基、上り藤に陰割菱が1基、六つ藤に三つ巴が1基、丸に橘が2基、丸に剣片喰が2基。サンプル数が多いからかもしれませんが、急にバラエティに富んだ気がします。但し、墓地によって家紋が偏っていた印象です。その土地の六車家は同族ということでしょうか。

今回の調査でなるほどと思ったのが、梅鉢の丸の数と六つ藤。どれも六なんです。六本源氏車も六から取ったということで六にちなむというのが先人たちの思いだったのかもしれません。

丸に梅鉢
丸に違い鷹の羽
六つ藤に三つ巴
上り藤に割菱
上り藤

コメント

  • mugurumaさん!色々と記述されていますね。此のコ-ナ-の一番上の「丸に梅鉢」は梅紋127の内に有り、梅花の文様は奈良時代に用いられたと言われる。
    高野山の赤不動像の裳に梅鉢の文様が描かれているのが最古のものとかんがえられる。次に「違い鷹の羽」は鷹の羽紋17の内にあります。次に藤紋は「藤原九十七家の内わずか七家、公家の藤原氏では九条家 二条家のほかはほとんど用いず、地方に下つた支流が、その氏にあやかつて用いた。大名、旗本を合わせると170家にものぼる。出展:日本の家紋。「変わり上がり藤」は有りますが、3と4はは無いので新しいのでしょう。    ではまた。

    投稿者 K、M
  • K,Mさん、調べて頂きありがとうございます!

    そうなんです。上り藤の紋様について正確な名称がわからないんです。
    とりあえず、調べた中でそれらしい名称で呼んでいます。
    白鳥には上り藤に菱型の紋様が入っているものが何軒かありましたので、
    同じ家系なのではないでしょうか。

    投稿者 muguruma
  • mugurumaさん、お早うございます。
     家紋で佐藤家が「6本骨源氏車」で有る事は以前より知つて居ましたが、栄作さんが出てきたので、少しばかり述べます。
     実は父親は、 門司鉄道管理局 小倉工機部に勤務していました。職種は鍛冶職です。 此の時期、佐藤栄作さんは門司鉄道管理局長でした、 後に大阪鉄道管理局長に成り出世街道まつしぐらです。 後年・兄貴も内燃機関の職場で働きました。
                  では又

    投稿者 K、M
  • K,Mさん、今晩は!

    実は、うちの父も元車掌で、その父も電機区にいたと聞いたことがあります。
    母の父も元SLの機関士で、雪の中、峠を越えるのを繰り返す内、後遺症が出たとのことでした。
    昔は普通に働くのも大変だと思った記憶があります。

    投稿者 muguruma