事実
月形村大字六車村
2013/01/14
六車村は月形村に属していたようで、南牧中にある他の村と同じとのこと。この南牧を通って、信濃から甲斐に通じる道は極めて古くから開けているのは信州南佐久郡誌に書いてあるそうです。この資料から六車村について抜粋。
語源 | 六車村は、車の六つに破れたことが起こり名。昔、武田信玄上州へ兵を出し箕輪城主長野信濃守業政を攻める時、この村を通過する際、「カイナシ出口」という難所に差し掛かり、その時大八車が岩石にぶつかり車輪が六つに破損した。この名を村に負わせた。「六蘆間」と云う。 |
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神社仏事 |
上記神社を合併して下記神社すると伝えられている。木曾義仲の滅亡後、その子駒王が立てそうです。(※駒王とは木曾義仲の幼名だそうです。ということは木曾義仲が建てたのでしょうか?)
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名所 |
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出典:群馬県甘楽郡史
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