「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

森田さんへ

2012/10/06

森田さん

こんにちは。
六車です。
ご連絡ありがとうございました。

六車姓と生業との関係に興味がおありとのことで、
私も大変興味があります。
下記記事を読んで、赤穂から来て塩職人を生業にした
一族の方がいるんだなと驚きました。

明治の群像「六車三郎」

もし、ご存知のことがありましたら、
是非教えて頂けるとありがたいです。

ご質問の件、回答します。
うちのお墓はどの地域か?その地域に六車姓は多いのか?

「うち」とは北海道に渡った祖父「六車嘉太郎」以下の親族になります。
厳密に言うと北海道名寄市にあるお墓です。六車姓は六車嘉太郎の子孫のみです。
名寄市には1つしかありませんでした。

戸籍

父や母の話では、北海道に渡った時に祖父が勝手に剣片喰を選んだようだということは聞きました。
恐らく祖父の本家の家紋と祖父以下の六車の家紋は違うのだろうと想像しています。
というのも、私の両親が一度だけ、本家の墓に行ったことがあるらしく、
その時に見た文様が「うち」の文様と違ったそうで、それが何だったかは覚えていないようです。

墓の場所が旧丹生村にあり、霊園じゃない場所にあったそうなので、
時間を見つけて、一度探しに行きたいなと考えています。

コメント

  • 六車様、回答ありがとうございました。実は、旧大川郡からは北海道へ渡った人々はとても多く(市内の学校も姉妹校として交流しています)、ご先祖様も多分明治維新後移住されたのではないでしょうか。ところで、旧丹生村は東かがわ市の一部でして、六車姓の比較的多い地区です。古い歴史的な港があり、海運(歴史的には海族=海運支援と海賊)に関係しているという説があります。少し弾力的に考えると、製塩業とも関わりがあるのでは?こちらにお越しの節は、お会いしたいと思います。六車三郎氏の件、勉強してみます。

    投稿者 森田 武雄(香川県東かがわ市三本松)