事実
宮代へ
2012/06/23
梅雨の隙間に、夢のお告げを信じて、宮代町に行きました。夢の中では、「六車」の関東での領地は、「利根川沿い」「身代わり」に関連するところで、ネットで検索するとヒットしたのが宮代町。当時利根川であった「古利根川」と「身代神社」というまさにピッタリのキーワードがあったので訪れました。結論から言うと「六車」と関連性のありそうなものは見つかりませんでした。百間領は中村氏が江戸時代に治めていたようです。
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あまり綺麗じゃないのですが、時代感があるかというとそうでもなく。コンクリートが使われているので、昭和の手入れで残念。
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身代神社
旧須賀村の鎮守で、明治時代の神社明細帳によると祭神は武速素佐能男命を主神として他16柱を祀り、また「素佐能男命が大蛇を退治した際、心がすがすがしくなった」という故事によりこの地を須賀村といい、蛇の縁により別当職を龍光院という(中略)再興は天和2年(1688年)3月28日なり」と記されている。当社の創建は、鎌倉時代初期仁治3年(1242年)3月の勧請と伝えられている。祭礼は、7月14日。身代神社の「代」をとって現町名の一部とした。
境内には高さ60センチほどどの小さな庚申塔が並べ建てられている。これらは江戸時代後期に須賀村の島地区の人々が奉納したもので、こうした庚申塔は近隣にもあまり例を見ない。この神社は古利根川の自然堤防の上に位置し、周辺から縄文時代や古墳時代の遺物が発見されている。また、神社西の身代池は、かつて利根川の流路ともいわれ、この池で釣った魚を持ち帰ろうとすると「オイテケ、オイテケ」という声がするというオイテケ堀の伝説も残されている。
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