「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

赤穂の塩職人

2013/06/09

赤穂の塩職人について、六車姓以外から何かわからないかと思い、ネットで検索してみました。すると、ヒントになりそうな苗字がいくつかあるのです。

大路姓は加古川に多く、金地姓も播磨にルーツがあるとのこと。恐らく赤穂近辺の播磨から来た姓と考えられ、讃岐に渡る以前にも苗字を持っていたのではないでしょうか。赤穂系六車姓も生駒氏から六車姓を頂いたのか、六車氏に養子にはいったのかは謎ですが、以前には別の苗字を名乗っていた可能性もありそうです。

ただ、棚次姓はほぼ東さぬき市にしかないのが、謎。京都には棚次という地名があるので、そこから来たのかもしれません。

2013/05/25 追記

白鳥町史を調べるとやはり赤穂から来た氏族に六車姓がありました。ひょっとしたら、本当に赤穂とつながりがあるのかもしれません。以下、白鳥町史からの抜粋です。

天正15年(1587)、生駒親正は播州赤穂より転封となり、最初は引田城をその本拠としていたが、安戸村および松原村の海浜が、塩田造成の適地であることに着目し、もとの領民を赤穂から呼び寄せて、安戸および松原に、初めて本格的な入浜式塩田を造成したと伝えられている。

松原塩田は約八町歩あり、赤穂より移住した「棚次、橋本、福原、尾崎、大路、田中、六車、槙、金地、鈴木」などの先祖によって開拓せられ、また、小磯塩田の約五町歩は、元禄年間に棚次家(屋号濱屋)が中心となって、やはり赤穂の落人などの労働力を利用して完成したものと伝えられており、これらの人々は、つい最近まで「赤穂講」という組織を作り、漆器類などを共有しており、また数人ずつ交代で、先祖の墓参りに赤穂へ通っていたということである。これを証するものに「教蓮寺縁起」というものがある。

『南海道讃岐国大内郡松原邑に一寺あり、松雲山教蓮寺と号す。その濫觴を考えるに、往昔。後陽成院の御字、天正十五丁亥年二月に当て、播州赤穂郡の人民数十人来て、経が島松原に住す。惟時、国守生駒壱岐守(雅楽頭)の御世なり。然るに此の所塩浜に成べき土地なりとて、則ち国守に申して許多の河原を開立たりしかば、其味濃にして、殊に多く出来たれば、家富み人栄て忽ち一箇の聚楽と為りぬ。其比、播州永応寺の教会と云う法師あり、壮年の頃より、弥陀の本願を頼んで称名怠る時なく、常に万人を教化して西方往生を願わしむ。門徒相議して道場を建立し、彼の法師を招引して居らしむ。法師本尊を持来つて安置し、一宗念仏の会所とす。』

これが確かなことに、引田の安戸に教蓮寺の檀家が五十軒におよぶことが証明されている。また、口碑に伝えられるように、赤穂の塩業民が燃料の買い付けに当地に来て、中川の条件を見て、塩田適地として移住。故郷赤穂の古式入浜塩田である東尾崎浜以上の塩田適地に映ったのである。

ちなみに、移住した10家のうち、明治時代まで塩田を所有していた家系は「橋本、田中、鈴木」の苗字がありました。その他の苗字の方々は、絶えたものもいるのでしょうが、塩田で結構な財を成したようなので、その功績で他の土地に移住して苗字を認められたのでしょうか。六車姓が赤穂時代に名乗っていたとすれば、また新たな可能性がひらけます。教蓮寺や永応寺を調査すれば糸口がつかめるかもしれませんね。

出典:白鳥町史

2013/05/19 記述

赤穂の塩職人と讃岐の関係を調べてみると生駒氏が讃岐に入国した時、前任地である赤穂から塩職人を数十人連れてきたそうです。

最初の拠点を引田に置き、引田の松原と安戸浦に塩田を開いたようです。書類をみると職人達は苗字をもっていません。

また、宗旨はキリスト教が多く、松平氏時代には弾圧もされて、宗旨を変えても、六代に渡り監視されていたとも書いてありました。

六車三郎の先祖も赤穂の塩職人と記載がありましたが、赤穂から来たという情報が前述の情報と混同してしまったのかもしれません。

コメント

  • 「その他の苗字の方々は、絶えたものもいるのでしょうが、」←槙さんは1軒しか見当たりませんが、そのほかの姓は東かがわ市(塩田のあったところ)にはどっさり生息いたしております。ちなみに「六車」姓よりも圧倒的に「橋本」「田中(10家の後裔とは限りませんが)」が多くあります。塩田の後は「棚次」/「橋本」氏などにより手袋作りが盛んとなり昭和時代まで当地の経済を支えました。今も国内生産90パーセントといわれています。最近は手袋の技術をもとにいろいろな産業へと転換しています。

    投稿者 白鳥に住む六車さんの友達
    • 白鳥に住む六車さんの友達さん、詳しい情報ありがとうございます!10家は東かがわ市が今も地盤になっているんですね!手袋の国内生産が90パーセントというのも驚きです。北海道で使われている手袋も香川製のものを使っている可能性が高そうですね。雪の多い北海道では必需品なので、ありがたい!もし、ご存知でしたら、教えて頂ければありがたいのですが、六車三郎氏の氏族の以前の苗字が福原性らしいのですが、10家の福原氏と関係があるのでしょうか?また、赤穂講というのは今だ行われているのでしょうか?

      投稿者 muguruma