「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

仮説

謎の整理2

2013/05/08

これまで調べたことと下記を整理しました。

六車郷からどこへ?

→六車郷に「六車」姓が存在したかはまだはっきりしません。
→現段階では讃岐で「六車」姓がスタートしたと考えるとスッキリします。

関東の豪族が何故讃岐へ?

→安富氏からの別れならばスッキリします。

讃岐と京都で活動?

→六車宗湛からしか史実には出てきてないです。教興寺の戦いからでしょうか。

長宗我部家に落城後

→加藤清正が丸亀藩に臨時で治めた時に、各地を巡察したようです。その時、兄弟が仕官したのか。
→尾藤知宣が治めた時に、臣従し、加藤清正にそのまま引き継がれたのか。

2012/05/19 追記

仮説

これまでリサーチし、わかったことを鑑みて、
今現在の謎を再度整理します。

六車郷からどこへ?

1295年、六車郷の下司が六車郷より追放される。
→土地由来の名字であれば、六車郷が出身地として妥当。
→追放されて、他の土地で復活するケースもある。
目を引くのは数代に渡って諸国を放浪という記述も。
六車氏も諸国を放浪し関東に流れ着いた可能性。
※2013/01/05 訂正
吹田市史によれば、追放された下司は神人が去った後、舞い戻ったとのこと。

「むぐるま」と「ろくしゃ」に別れたのはこの頃か?
畿内に残る道を選ぶため名前の読み方を変えた?

→四国や九州に「ろくしゃ」姓がおらず、畿内や新興の土地に見られる。
→古代系名字の「ろくしゃ」欄に「六車」の記述あり。
→「姓氏家系大辞典」を書いた太田亮は奈良の出身。
「六車」の記載が「ろくしゃ」に。

関東のどこにたどり着いたのか?

→摂津源氏と関係のある下河辺荘?
→埴生郡の安富氏と出会う?
→奉行人の安富氏の郎党に?
→武蔵守と相模守だった細川頼之に関東(詳細不明)で出会う?

関東の豪族が何故讃岐へ?

・細川頼之の讃岐入部に関わりのある武士団(安富氏【謎】、
香川氏【相模国高座郡香川邑】、奈良氏【武蔵国大里郡奈良】)の一つ?
・安富氏の郎党として、播磨を経由して、讃岐へ?
・関東の豪族とは誤りで、畿内から讃岐へ?

讃岐と京都で活動?

・安富氏から養子?安富系譜の六車?
・六車宗湛以外の複数の六車氏もいる?
・「むぐるま」と「ろくしゃ」に別れたのはひょっとしたらこっち?
→安富氏が京都に滞在。

長宗我部家に落城後

・加藤清正に丸亀で出会って、熊本へ?
→小西行長と長町氏の関係から推測
・養子の六車長門守朝政は安富盛定に従ったのか、戸次川の戦いで討ち死に。

コメント

  • 私の母方の祖父が香川県の六車家の出身で、明治の頃、大分と宮崎の県境に随道(トンネル)工事の設計技師として来ていたのを、曾祖父が是非うちの娘婿にと 眉目秀麗で頭脳明晰 只者ではない風情に人々は驚いたそうです。しかし祖父は早くに亡くなりました。そんな祖父のルーツが知りたいと

    投稿者 ゆき
    • ゆきさん、こんにちは!
      お返事が遅くなり、申し訳ありません!

      お祖父様のルーツがわかるといいですね!

      投稿者 muguruma