「六車」はどこから来たのか。自分の苗字を探す記録。

事実

上野国甘楽郡六車村

2013/01/08

上野国甘楽郡

南牧村六車の歴史を探ろうと見つけた資料です。
江戸期くらいまでしか遡れませんでした。以下、その詳細です。
天文明暦(1532~1657年)の間、南牧上郷に属して砥沢村に隷す

壃域 東方大日向村に境す、或いは耕地に界し或いは山脊に界す、南方大仁田村に接し西方砥沢星尾二村に連り、北方西野牧村、大塩沢に至る、皆界を山脊に分つ
幅員 東西27町40間南北1里9町35間
管轄沿革 文禄慶長(1592~1614年)の間代官中野七蔵始めて之を支配し、文政8年(1825年)松平右近将監に属し、天保7年(1836年)再代官支配に帰し、嘉永7年(1854年)小笠原豊後守の采地となり、明治元年(1868年)岩鼻県に入る
里程 群馬県庁より西南13里余、四隣砥沢村へ27町50間、大日向村へ14町40間、大塩沢村へ1里4町50間、近町下仁田町へ3里10間
地勢 葛岩の山脈分れて三派となる、村の東方に施くものを葛岩の本脈とし、西方に抵るものを立張とし、其中央を中山として南方乙母山あり、村民分処して3所にあり、中山の西に位して立張の東潤に居るものを中山と云い、中山の東脚を回りて葛山の南麓に拠るものを上下底瀬と云い、南牧川の両岸に倚りて脇往還に接するものを原郷と云う。郷隣隔絶して日用極めて不便なり
地味 赭埴にして膏脂乏しく砂礫多し、桑楮及蒟蒻玉に適す
税地
段別48町3段2畝29歩
段別12町6段8畝17歩
大縄場
段別47町7段6畝29歩

総計 段別108町7段8畝15歩、改正段別 畑101町7段8畝29歩、宅地4町2段4畝6歩

字地
東畑
村の南方にあり、東方大日向村に境し西方中棚に接し北方南牧川に臨めり、東西2町10間南北55間
中棚
西方乙母沢に連り西北南牧川に臨む、東西1町50間南北30間
萬地
東方南方乙母沢に接し、西方赤岩沢に連り北方南牧川に臨む、東西2町40間南北1町
背戸山
西方瀑上に接し西方北松に連り、南方南牧川に臨みて東畑に対し東方大日向に境す、東西20間南北2町
瀑の上
北方岩樽に接し西方新井平に連る、東西1町50間南北2町
西嶺
北方北杏新井平に接し西方片地に連る、東西2町15間南北1町
片地
北方新井平に接し西方高畑赤岩に連り、南方南牧川に臨めり、東西2町25間南北1町10間
赤岩
北方高畑に接し南方南牧川に臨て西方砥沢村に境す、東西2町30間南北1町30間、以上八字原郷耕地に属す
前畑
村の東北にあり、西南石沢に連り南方きぎ岩に接す、東西南北1町50間
岩沢
北方岩久保に接し西方中山に連り南方住吉に隣る、東西2町10間南北2町、以上3字中山耕地に属す
反畑
南方岩久保に接し西方中山に連る、東西2町南北1町
堂向
東方田久保に接し西南尾崎、反畑、岩久保に連り北方郷田に至る、東西1町30間南北1町5間
日影通
南方尾崎、横道に連り西方後平に連り北方大道、岩下に至る、東西2町南北1町20間
大道
西方岩下に連り東方郷田に接し北方石神に至る、東西南北1町40間、以上4字底瀬耕地に属す
村の西南にあり、南方向平に連り西方杉名畑に接す、東西1町50間南北1町20間

乙母沢、赤岩沢、山神、サス、新井平、高畑、中の反、堂ノ沢、下グネ、岩橋、唐松、住吉、狭岩、道水岩、北の久保、以上15字原郷耕地
中山、岩下、向平、杉名畑、宮をね、井戸沢、小沢、井戸頭、小井戸、清水本、入の向、中河原、向山、栗岩、金坂、倉巣作、番木、石津、岩久保、田の久保、猿畑、鳥屋坂、塔の上、滑岩、堂向、尾崎、郷田、坂下、石神、うすう平、蕨反、以上9字底瀬耕地
横道、細久保、橋上、橡久保、久保松倉、沖萱、水の平、麦久保、カイネ、松倉、腰回、北の沢、蟹崩、以上26字中山耕地

貢租 地租 金82円95銭7厘、雑税 金18円 総計金109円15銭7厘
戸数 平民138戸本籍、社1戸小社、寺2戸天台、総計141戸
人数 男321口平民、女328口同上、総計649口
牛馬 牡馬51頭
乙母山
高38丈、村南10余町にあり、脈を西南砥沢村の三岩より取り、東北に施て南牧川の南岸に抵る、北面に山神、赤岩沢、乙母沢、万地等の字あり、南方大仁田村に属し東方大日向村に属す、中山多く雑木を生す
葛岩
高45丈、村北27町にあり、脈を西北荒船山より取り、東南に施て大塩沢村に接して大日向村に入る、南方に分れて南牧川に抵る、倉巣作、番木、川原、笑坂、石神、坂下、田久保、滑岩、鳥屋阪、唐松、岩樽、瀑上、瀬戸山の字あり、岩山にして雑木を生す、溪水一条西南腹より発し南流して上下底瀬を過き、原郷に出て、南牧川に入る、長1里2町巾4間
中山
高25丈、西北脈を葛岩より分つて村の中央に臨めり、東方葛岩に対し西方立張に面す、蟹崩、中川原、明後平、横道、日影通、石津、毛崎、反畑、岩向山、岩下、住吉の字あり、山中雑木多し
立張山
高42丈、村西20町にあり、西方脈を葛岩中山に接し、村の西境を壓して南牧川に臨み、西方星尾村に属し南方砥沢村に接す、松倉、<クタシ>、<カイネ>、井戸沢、井戸頭、赤岩の字あり、岩山にして萱茅多し、雑木を生す、溪水一条、北面<クタシ>より発し、南流して中山を過き葛岩の溪水に会す、長23町7間
南牧川 深1尺5寸広12間14町、西方砥沢村より来り村の南境を過て東方大日向村に入る、水性清冽、両岸多くは岩石にして流に大石多し、往々急瀬激湍あり
道路
脇往還
県道三等、巾2間長15町24間、東方大日向村より南牧川の南岸に沿って西方砥沢村に入る
里道
里道一等、巾4尺長35町、原郷字北妻より脇往還北に跂れ、葛岩の溪に沿って泝り、字大道に至り北折して坂下を過ぎ大塩沢村に入る
掲示場 字中棚にあり、東方村界を距ること32間
住吉神社 村社、東西23間南北31間、面積358歩、村北字住吉にあり、祭神中筒男命、祭日9月15日
大雄寺
東西29間南北38間半、面積857歩、村南字瀬戸山にあり、天台宗、叡山延暦寺末、永観元年僧密岩開基創建せり
正洞寺
東西13間南北9間、面積150歩、村の西南字南にあり、天台宗、千原村慈眼寺末、創建年度詳ならず、村民畠山仁平の祖開基せりと云、方今無住
学校 共立六車学校、明治9年3月開校、始めて砥沢村と分離す、生徒男35人、女15人、当時明治11年現員、男46人、女42人、大雄寺に仮設す
物産
生糸
44貫500目
四分延半紙合24俵、8000枚を以て1俵とす
蒟蒻玉
151俵、16貫目を以て1俵とす、近町に売輪す

出典:上野国群村誌(甘楽郡)より

コメント

  •  mugurumaさん、南北村の群馬地誌・本当にメジャ-ですね、有難う御座います。系図の処で先ほど記述したのを年月日を間違えました。昨年11月24日でした、訂正します。宜しく。

    投稿者 K、M
  • K,Mさん、了解しました!

    投稿者 muguruma
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    投稿者 Johnc184
    • johnc184さん、こんにちは!

      こちらの内容は日本の独特な内容ですので、
      外国の方にはかなり難解な内容ではないでしょうか?

      もし、必要な情報があれば、教えてください。
      私の答えられる範囲で、お教えしますよ。

      ではでは~

      投稿者 muguruma
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    投稿者 Johna360
    • Johna360さん、こんにちは!

      ただ調べた情報をそのまま掲載しただけなんですけどね。
      お褒め頂き、ありがとうございます!

      投稿者 muguruma