仮説
安富氏
2012/07/07
安富氏について調べていると歴史がある家系なので、詳細が不明な部分も多いようです。源氏姓や紀姓、藤原姓があるなど当初は意味がわからなかったのですが、「安富・安冨一族」によると、紀氏から安冨に養子に行くなど途中で変わることにとり、先祖の名前と現在の名前が結びつかない状況にあるようです。その中に、紀正泰の弟「安冨之家」と紀正泰の息子「安冨盛家」が養子に入っているような記述になっています。色々な資料から推測しつつ下記系図を作成。それにしても、親子関係と兄弟関係で辻褄があいません。安冨盛長が桓武平氏「鎌倉権五郎景政」の系譜と言ったというのは、香川氏と混同したものであるとのこと。
紀性安富氏系図
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- 中納言紀長谷雄912年卒
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- 紀伊守紀文仁
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- 伯耆守紀致頼
- 改め宗政紀宗俊
- 出雲守紀忠道
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- 伯耆国にあり紀為任
- 伯耆守紀成任
- 右馬助紀順理
- 右馬助紀教忠
- 紀伊守紀家俊
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- 弾正少輔紀宗信
- 法印尊任
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- 大蔵大輔紀宗雅
- 宮内少輔紀望益
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- 宮内少輔紀定綱
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- 紀伊守紀俊文
- 摂津守紀俊輔
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- 刑部少輔紀俊経
- 1207年東大寺法印了慶
- 三郎、紀伊守紀俊重
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- 弾正少輔紀俊就1184年宇治川討死
- 阿波守紀重満源実朝に仕え、1247年宝治合戦で功。下総国埴生郡地頭
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- 紀八郎紀満之
- 1249年延暦寺法印慶円
- 左衛門尉紀行義
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- 紀行俊
- 右衛門督紀行春
- 右衛門佐 尾張守紀行高
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- 右衛門佐紀之泰
- 左衛門尉紀之家
- 彌五郎、左衛門尉紀正泰1349年四條畷討死
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- 彌三郎、修理太夫紀之盛
- 細見左近太夫紀之満
- 法印瑞禅
- 安富左衛門紀盛家
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- 讃岐東方守護代安富盛衝
- 左衛門安富之家
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- 安富盛長
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- 安富元綱
- 安富元継
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- 安富元家
- 若槻元隆
- 雨滝城主安富盛方
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- 肥前守安富盛定
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- 安富盛茂
参考:安富・安冨一族
讃岐人物辞書/津田町史
参考:武家家電_安富氏
参考:大内町史
源姓安富氏
安冨行長(入道道行)という足利尊氏の右筆が、源行長と名乗る例も。
参考:武家家電_肥前安富氏
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